ロータリーとは

 ロータリーとは、世界で最初にできた奉仕クラブの組織です。組織として見たロータリーとは、ロータリークラブの連合です。世界各地のロータリークラブが集まって構成されている連合体は「国際ロータリー」と呼ばれます。すべてのロータリークラブは、この国際ロータリーの会員です。そしてロータリアンとは、各ロータリークラブの会員個人のことです。

ロータリークラブとは

 全世界の200以上の国家に、35,989 のロータリークラブがあり、1,211,107人のロータリアンがおります。多少の例外はありますが、クラブは地区に組み入れられ、各地区はガバナーが直接監督をしています(2020年2月24日現在)。
各クラブの正会員は、原則として、クラブ区域内にある各事業と専門職務に携わる代表的な人物が、一人ずつ選ばれております。ロータリーでは「職業分類の原則」という規定で、クラブ会員の構成が、いずれか一方にかたよることを防ぎ、同業者が出席している場合と比べて、雰囲気を開放的なものにするのに役立っております。
ロータリークラブは、個人的な友情と奉仕のきずなを結ぶため、毎週クラブ例会に出席することが、会員としての大切な努めとなっています。また、各ロータリークラブは、国際ロータリーの認証状を受けた、世界組織のメンバーです。したがって各クラブは、その地域のみでなく、全世界のロータリークラブと結びついているのです。
ロータリーは、人種、信仰、政治的信条にかかわりなく、すべての民族やすべての国々の国民が、平和と友好の雰囲気の中に集えるようになっております。そして対立と分裂をもたらす活動にかかわることを避け、共通の利益を重んじ、お互いの理解と協力の心をつちかっていくものです。

なお、ライオンズクラブは、1917年にダラスロータリークラブ会員であったメルビン・ジョーンがロータリークラブから分かれて創設したクラブです。ロータリークラブは個人個人で奉仕する「アイ・サーブ」、ライオンズクラブはクラブ全体で奉仕する「ウィ・サーブ」をモットーにしています。

■ロータリーの誕生

 ロータリーの起源は、1905年(明治38年)2月23日に、その頃、経済恐慌で人心の荒れすさんでいたアメリカ社会、特にシカゴの状態を憂えた青年弁護士ポールP・ハリスが、かねて抱いていたアイディアについて3人の友人と会合したときに始まりました。その3人とは、石灰商のシルベスター・シール、鉱山技師のガスターバス・ローア、そして仕立業のハイラム・ショーレーでした。
ポール・ハリスとこの3人は、シカゴ市内のローアの事務所で会合し「事業をする人が友愛の気持ちをもって親しみ合い、仕事の上での知り合いの輪を広げていくために、定期的に集まる会をつくる」というかねてからのアイディアを提案しました。これについて4人がいろいろと話し合った結果、一つの職業から一人だけを会員として選んで、男性のクラブをつくることになったのです。このクラブは週に1回開かれ、会員の店あるいは事務所を輪番でつかうことにしました。それは、会員がお互いの仕事について、よく知ることができるようにするためでした。この輪番にちなんでクラブの名称を「ロータリー」としたのです。
1989年7月より「男性」の文字を削除し、クラブは女性も男性と同じ条件で会員として選挙する事が出来るようになりました。

■日本のロータリーの誕生とその成長

 三井銀行の米山梅吉氏が、男爵目賀田種太郎氏を団長とする財政調査団に加わり、1918年(大正7年)、テキサス州ダラスに参りました。この地に三井物産の福島喜三次氏がおられて、ロータリーについて見聞し、大いに心を動かされて帰国しました。1920年(大正9年)8月に、銀行のクラブに18人の人々を集めロータリーを説明し、続いて9月1日に発起人会を開き、10月20日24人の人々が出席して創立総会を開き東京クラブが誕生し、1921年(大正10年)4月1日にR.I.登録番号855号をもって承認されました。続いて大阪、神戸、京都と普及しましたが、戦時中には日本のロータリー活動は中断の止むなきに至り、戦争後の1949年(昭和24年)1月。国際ロータリー理事会は、日本の復帰を決議し、同年3月29日東京クラブが再登録されました。各地区も活発な復活が行われ、全国各地に新クラブが結成されました。
日本の中では、クラブ数は2,250あり、会員数は、89,097名に達しています。東京地区は2750地区と2580地区に分かれ、
2750地区 98クラブ 4,813名
2580地区 70クラブ 3,010名 となっています。
(2020年1月末現在)